コッホ先生と僕らの革命

 

 

 

あきらめることに
慣れてしまった
すべての大人たちへ

ドイツサッカーの創始者

 コンラート・コッホの感動の実話

 

 

2011/ドイツ/セバスチャン・グロブラー
監督

●9月例会                                                       

 

16(月祝) 。隠院В娃亜´■隠魁В械
17(火) 。隠粥В娃亜´■隠后В娃

例会場は、京都教育文化センター

 

 

 

 1874年、イギリス留学を終え、ドイツへと帰国したコンラート・コッホ。とある名門校へ英語教師として赴任した彼は、授業の一環としてサッカーを教える。サッカーを通して、子どもたちはフェアプレーとスポーツマンシップの精神を学び、それまで抱えていた階級や国籍に対する偏見が少しずつ薄れていった。しかし、帝国主義下にあったドイツでは反英感情が高まっており、イギリスで確立されたサッカーは反社会的なものの象徴であった。

 


  歴史学教師ボッシュがノコギリで無惨に切られた指示棒を持って入ってくる。「誰の仕業か」との問いに、級長フェリックス・ハートゥングが「ヨスト・ボーンシュテットです」と答えた。否定するヨストがカバンを開けると中にはノコギリが…。フェリックスが首謀者となってヨストに罪を着せたのだ。ヨストは教室でただひとりの労働者階級出身で、奨学制度で何とか学校に通えているものの、フェリックスらのいじめを受けていた。ドイツ帝国の教育は秩序と規律、服従がすべてと語るフェリックスの父親は、子どもたちの未来のために進歩的な教育を施したいと考えるコッホと対立した。

 「教室を出て体育館に集合だ」。いぶかしげに生徒たちが集まると、コッホは愛用のボールを手に「これはサッカーボールだ」と語り、ボールを蹴って見せた。それまで体育の授業と言えば体操であり、医療用の重いボールしか触ったことがなかった生徒たちだったが、見よう見まねでボールを蹴ると生まれて初めて味わう快感があった。サッカーに夢中になった生徒たちは、サッカー用語を通じて英語の授業も熱心に受けるようになる。

 反対派の目を盗んで始まったサッカーの課外授業。この秘密はいつまで保つことができるだろうか。そして、コッホの解雇とヨストの退学、危機が迫る生徒たちの運命は?

  

 

  現代に通じるコッホの哲学、自由と自立と平等のスピリッツ。
 体操の補助としてサッカーを導入した理由を、コッホは“チームプレイ”の精神を養うことと“個性と自発性”の育成としている。これらは“自由なグラウンドの上でこそ達成することが可能”とも語っている。さらに、イギリスを旅した際のエッセイで、スポーツが階級差別に打ち勝つ役目を担っていることを強調し、“最上層と最下層の人間が平等にゲームに参加することは、社会の階級差別を緩和することへの大きな貢献になるだろう”と述べている。ドイツ語と古典語の教師ではあったものの、コッホは紛れもない教育改革論者であり、自由と自立と平等の精神が教育の根幹であると考えていた。映画『コッホ先生と僕らの革命』は、コンラート・コッホのライフストーリーを正確に辿るというよりも、場面写真彼の教育哲学やパイオニアとしての情熱にスポットを当て、それを際立たせるためにアレンジを加えたドラマになっている。いまだに差別意識や偏見に支配されている現代社会。映画で描かれたコッホの生き方は、時代を超え、人間としてどう生きるべきかというメッセージにつながっていると言っていいだろう。

 


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