私を離さないで

 

 

この命は、誰かの為に この心は、私の為に

「わたしを離さないで」――それはあまりにも悲痛な叫びである。
私たちの周りにも、そう訴えている人がいないだろうか。

 

2011/アメリカ/マーク・ロマネク監督

●7月例会
16(日) 。隠院В娃亜´■隠魁В械
17(月) 。隠粥В娃亜´■隠后В娃

例会場は、京都教育文化センター

 

 

 緑豊かな自然に囲まれた寄宿学校ヘールシャム。そこで学ぶキャシー、ルース、トミーの3人は、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた。しかし、外界と完全に隔絶したこの施設にはいくつもの謎があり、“保護官”と呼ばれる先生のもとで絵や詩の創作に励む子供たちには、帰るべき家がなかった。

 18歳になって、校外の農場のコテージで共同生活を始める3人。生まれて初めて社会の空気に触れる中、ルースとトミーは恋を育んでいく。そんな2人の傍にいながらも、次第に孤立していくキャシー。複雑に絡み合ったそれぞれの感情が、3人の関係を微妙に変えていく。やがて、彼らはコテージを出て離れ離れになるが、それぞれが逃れようのない過酷な運命をまっとうしようとしていた。やがて再会を果たしたルース、トミーとかけがえのない絆を取り戻したキャシーは、ささやかな夢を手繰り寄せるため、ヘールシャムの秘密を確かめようとする。だが、彼らに残された時間はあまりにも短かった……。

 彼らが抵抗しないのはなぜだろう?
治療不能の病魔に侵されたわけでもなく、予測不能の事故に遭ったわけでもなく、彼らは人の手で臓器を取られ、命を失っているのに、なぜ抵抗しないのか?
それには幾つか理由があろう。生まれる前からの制度として、常識として、確立していたら、個人がそれに抗うのは容易ではない。周囲のみんなが粛々と受け入れているのだ、そもそも抗うことを思いつきもしないだろう。
だが、おそらく最も大きな理由は、彼らが臓器を提供することで存在を認められるからだ。人は誰しも承認されたいという欲求がある。誰かに認められたい、存在を肯定されたいと願っている。臓器の提供は、人々の長寿を実現するための大事な要素であり、本作の世界の制度ではクローンとして誕生した彼らだけが担える役割であると思われる。
生まれたときから、彼らを可愛がる親はなく、褒められたり、将来を期待されることもない。スポーツで声援を受けるでもなく、芸術で称賛されるでもない。料理が上手くできたとか、テストの点数が上がったということで喜ばれたことすらない。
そんな彼らが唯一求められるのが臓器を提供することであったなら、そのことを通じてしか彼らの存在を気にかけてもらえないとしたら、彼らは臓器を提供する外に何ができるというのだろう。主人公たちは、臓器を抜き取られることを搾取だとか虐げだとは思っていない。彼らがそのことを口にするとしたら、献身とか貢献という言葉を使うだろう。
劇中、彼らは必至に証明しようとする。自分たちには愛があると。愛情を注がれたことがない彼らは、愛があることを証明しなければならないと思ってしまう。何と悲しいことか。

 

 


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