誰がため

 

 

ただ、”生きる”ためなら降伏を
だが、”存在する”ためには戦いを―
ナチスに凛然と立ち向かった
フラメンとシトロン

 

 

2008年/ デンマーク・チェコ・ドイツ/オーレ・クリスチャン・マセン監督

●5月例会
20(日) 。隠院В娃亜´■隠魁В械
21(月) 。隠粥В娃亜´■隠后В娃

例会場は、京都教育文化センター

 

 

 1944年、打倒ナチスを掲げる地下抵抗組織“ホルガ・ダンスケ”の一員である、23歳のベント=暗号名フラメンと、33歳のヨーン=暗号名シトロンは、上司ヴィンターの命令で、ゲシュタポとナチスに寝返った売国奴たちを暗殺する任務を遂行していた。しかし、あることをきっかけに任務への疑問を抱き始めた彼らの心の中に、組織に対する疑念が膨らんで行った…。
のっけから、フラメンたちはいきなり標的に近づき、問答無用で拳銃をぶっ放し、顔色も変えずに立ち去る。これまでのレジスタンスものとはかなり異なる。戦争物と言うよりは、まるでフランスのフィルム・ノワールか、イタリアのマフィア映画を観ているようである。
いくらレジスタンス活動とは言え、無抵抗で拳銃を構えてもいない人間を射殺するのは気持のいいものではない。そういうシーンが続くと、我々観客は、“このフラメンとシトロンというこの二人が行っているのは、本当に正義の為の戦いなのだろうか”という疑問をふと抱いてしまう。

 純粋に国家を信じ、テロに命を賭けて戦って来た二人は、打算と裏切りの狭間で、無残に死んで行く。
まさしく、彼らは、何のために、誰のために戦ったのか、何が正義で、何が真実なのか、彼らは本当に英雄だったのか…その答は誰にも分からない。
振り返って、現代においても、イラク、アフガニスタンで内戦が続き、そしてテロが頻発しているが、テロを行う彼らも、国家の正義を信じ、侵略する敵を倒す為に戦っている点では、フラメンたちと、行動の原点は同じなのである。

 

  戦争はどちらが勝っても空しいだけだとあらためて感じました。主人公2人ともラストはナチに追い詰められ命を終える、救いようのない映画だけど、救いはフラメンの彼女に宛てた手紙にぐっときました。

  「売国奴の暗殺」という任務があったことは理解できるが暗殺という手段でナチの支配を崩すことはできない。もっと「大状況」を見るならこのような戦術はとれないのではなかろうか?この映画は暴力という手段の不条理をうったえようとしていると思えるが、はたしてその「うったえ」が観る人の心に真っ直ぐに伝わったかとなると、疑問が残る。戦後、世界を武力で支配しようと試みてきたアメリカによって1960年代に表彰されたということが2人の行為の限界を示しているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 


前
2012年6月例会…奇跡
カテゴリートップ
例会上映作品
次
2012年4月例会…英国王のスピーチ