君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956

 

 

1956年、二人は
愛と自由の灯をともした。
最期のとき。
思いはあなたにとどくだろう。
2007年/ハンガリー/クリスティナ・ゴダ監督

 

 
18(日) 2:00〜
19(月) 。押В娃亜´■掘В娃
20(火) 7:00〜

例会場は、京都教育文化センター

●1月例会

 

 

 

 

 1956年ラコーシ政権下ハンガリーにスターリン批判とポズナニ暴動の余波が及ぼうとしていた。メルボルン五輪に向けて水球チームのエースとして活躍するカルチは秘密警察(AMU )幹部に呼び出され,ソ連人選手と争ったことで説諭され,親友はAMU に暴行を受ける.ある日カルチはブダペスト工業大学に旧友イミ・アーチを訪ね,ヤンチ(やエステルらを幹部とし,セゲド大学などと共闘するMEFESZ(ハンガリー独立学生連盟)結成の瞬間を目前とし,学生デモを統率する女子学生ヴィキに一目惚れをする。カルチの祖父(タマーシュ・ヨルダーン)は現体制に不満だが,母(イルディコー・バーンシャーギ)は息子の行く末を案じていた。革命を信じる彼女と接し、ソ連軍が市民を撃ち殺す光景を見たカルチは、自由のための戦いに身を投じてゆく……。
オリンピック史に残る実在の水球チームのエピソードを織り交ぜながら、暴力によって自由を奪われる人々の悲劇を描く。なお、この作品は、ハンガリー動乱50周年記念作品として製作されたためか、悪玉「ソ連」と白黒をはっきりさせた演出になっている。
 

 

<ハンガリー動乱小史>
 1953年のスターリン死去は、東アジアでは朝鮮戦争の終結を生んだが、東欧では共産主義諸国の動揺を生み出すことになった。1956年はじめ、フルシチョフはソ連共産党第20回大会の席上で、スターリン批判を行う、このため、東欧諸国にスターリンの威を借りて君臨していた「小スターリン」たちは、ソ連という権力の後ろ盾を失う形となった。ハンガリーでは、1953年に首相となったナジ・イムレの改革路線と、小スターリンであったラーコシ・マーチャーシュが対立し、ナジが1955年に追放された。しかしラーコシもまた、秘密警察と党の支持を失い、ソ連によって1956年に追放された。
 ラーコシの後継者に選ばれたのは、結局ラーコシ派であったゲレーだった。ゲレーはナジを疎んじ、権力を握ったが、ハンガリー人から見ればソ連によって押しつけられた指導者でしかなかった。
 1956年10月、ブダペストでデモが発生、ナジの復帰などを求めた。軍は介入せず、好意的な中立を守った。ゲレーはソ連の介入を要請したが、ソ連軍は学生主体だったデモに労働者が合流するのを見て介入を中止、ゲレーを辞任させ、ラーコシの粛正により野に下っていたカーダール・ヤーノシュを党第一書記に、ナジを首相に据えた。
 この2人は、ソ連による平和的な政治機構再建の期待と、民衆による革命・ワルシャワ条約機構からの脱退の期待との間で動揺し、引き裂かれることになった。11月、革命路線に走り複数政党制・中立国化を打ち出したナジは、ソ連軍によって政権から追われ、カーダールによって裁判にかけられ、1958年に処刑された。
 

前
2009年2月例会…オフサイド・ガールズ
カテゴリートップ
例会上映作品
次
2008年12月例会…歓喜の歌