延安の娘

 池谷薫監督と袁葉さんのシネマ&トーク

紅衛兵、下放、ひとりっ子政策、リストラ…
「自分たちを忘れられてたまるあか」という思いでカメラに向き合う文革世代

 

延安で映画を撮る

袁葉 ― 中国人にとって「延安」というと、革命の聖地、日中戦争の時の拠点でもある地です。どうしてこの延安を選んだのですか。
池谷 ― 老紅軍のじいさんを「延安」より10年位前に取材したことがあって、その時「お前は外地からきた二組目だ」って言われたんです。「30年くらい前に北京からにいちゃん、ねえちゃんたちが来て腐ったじゃがいも食って腹こわして大変だった」って…あぁ下放か、こんな延安に来てたんだなぁって…。そしたら当時は恋愛もご法度だとういうので、どういうことかと思った。十代の若者の長〜い片道切符の修学旅行ですよ。そしたら恋もするでしょうし、中には子どももできたりするでしょう。
 そこから下放の子を捜して黒龍江省を回ったりして、海霞って子に出会うんです。それまで7年かかりました。延安に縁があっってまた戻ってたんです。取材の時には役人が同行するんですが、どう見ても聡明な子なのに、この子は知恵遅れだって言うんです。文革という中国の闇を引きずった子を外国のカメラに撮らせるのはまずい、っていうことなんです。そこで役人を変えるところから始めました。10年前の老紅軍を取材した時の太っ腹の役人を捜して担当につけるのに北京に根回ししました。で結局、海霞が見つかってから撮影に入るまでにも8ヶ月かかりました。
袁葉 ―中国文革世代の過去と現代を描いた映画ですが、自分と同世代の人たちの不遇の人生を描く使命感というものがあったのでしょうか。
池谷 ― 日本の全共闘の人たちが自分たちを振り返るかと言えば、振り返らないでしょう。中国の紅衛兵世代と出会って、彼らはちゃんと自分たちの過去と向き合おうとする、これを何とか撮りたいと思った。
 文革の世代は、小学校入ると、飢饉があって育ち盛りの時に食べられない。中学に入ると文革が始まった。中学は一学期くらいしかなくてあとは、先生つるし上げてた。高校進学の代わりが下放です。
 当時の戸籍制度は、農村に戸籍を移されたら都市には戻って来れない。これが片道切符となんです。十年近くいて戻っても仕事が選べない、国から与えられた貧しい仕事、結婚したらひとりっ子政策、まだ働き盛りの五〇代でリストラの対象になる。勉強してないから、改革開放で豊かな下の世代からあの人たちは何もできないって言われる。どこまで行っても貧乏くじなんです。自分たちを忘れられてたまるかって思いがある。あのお父さん、同窓会であのカンパ、お父さんの年収の半分が集まってしまった。自分は餃子くらいしかおごってやれないのに…。しかも海霞がよりによってお母さんの歌を歌う。この子はなんて残酷な子なんだろうと思った。そしたら、あのお父さんが同窓会で立ちあがる。あそこなんですよ、この「延安の娘」が成り立っているのは…。自分たちのこと知ってもらいたい思いがカメラの前で向き合って、国境を越えて人間の力が伝わってくる。

黄玉嶺さんに惚れこんで

袁葉 ― この映画で、印象的な人は誰でしたでしょうか?
池谷 ― この映画の本当の主人公は黄玉嶺さんなんですね。実は僕はこの人に惚れちゃったんですよ。
 黄さんのことでこんな話、黄さんのあの食堂でちょっと若い奥さんがいましたけど、この映画の後、男作って逃げちゃったの。やっかいなことに、あの長老の次男なんですよ。黄さんはいろんな自分を演じているんですよ。カメラの前の自分、30年前の自分、おかあちゃんが浮気をしている家で時の自分、そういったところを行ったり来たりしているんわけです。そうしているうち本当の役者になっちゃうわけです。これがドキュメンタリーの凄いところなんです。だから最後にはカメラの前でガンと
しているでしょう。
 また黄さんは紅衛兵のリーダーでもあったから、やった側でもあったんですよ。その告白があるんです。工場の老幹部をつるし上げたことがあった。その容疑というのが抗日戦争時代のスパイ罪、そんなのはるか昔のことですよ。気絶するまで殴って、また立ちあがらせて梯子に縛り付けてまた殴った。今思い出しても吐き気がする。全く意味がない。黄玉嶺さん優しさっていうのは、やった側とやられた側の両方の痛みがわかることなんでしょうね。
袁葉 ― 黄さんは北京の知識青年としてプライド持っていると思います。現地で30年近くいたのに少しもなまっていない。彼の言葉はきれいな標準語です。北京の幹部の家を訪ねた時、黄さんは王偉さんの名誉回復の事を話すのに王偉さんに敬語を使っていました。
袁葉 ― 農民としても人間としての尊厳の気持ちを込めているのにも驚きました。
池谷 ― 王偉さんは未だに村では強姦魔って言われてるんです。彼と最初に会った時に「お前を30年待った」と言われました。当時、不倫はそれだけで罪だったけど、強姦とか、堕胎薬を飲ませたとか、そんなことはないだろう、その意味では冤罪だと僕は信じてたし、村の人たちにちゃんとわかってもらわなきゃいけないなって思っていたら、あんなに彼のことを思っているあの奥さんが出てきたんです。

言葉で歩み寄る父と娘

袁葉 ― 私はこの地域の言葉聞いていて、ほとんどわからなかったですね。そういう時は日本語の字幕スーパー見て理解していました。自分の国のことを理解するのに外国語が役にたったんですね(笑)。
 父親と娘の再会のシーンが印象的だったんですけど、父親にとって、人生の大事な日だったのに、いきなりお父さん、裸で出てきましたね。もうホントに中国人としては恥ずかしくてたまらなかったんですよ。でも2回目観た時、中国の下町の風景が、とても自然に撮れているのには関心しました。そこまで信頼関係が結ばれるまでの苦労話もあたと思いますが…。
池谷 ― 親父と娘が再会したシーンでは、通訳がウルウルして「言葉で歩み寄ってる」って言うんです。親父は方言を使う、娘はわかりやすく話そうとしている。…あの親父はガキの頃ワルで、ちょっとプッツンする人なんですよ。あの部屋は暑くていつも裸でいるんです。あの場面では、悪い予感して服ぐらい着といて下さいねって言おうと思ったんですが、案の定、裸で出てきて、「やってくれた〜」と、僕はその場でしゃがみこんじゃった。でも後で観ると、親父は親父でいつも通りの自分でいようと言い聞かせてでしょうね。あれは凄い修羅場ですよ。産婆さんが子どもが生まれた時に「始末しておいてくれ」って言われたって言葉がありますが、正確に訳すと「オンドルの中に投げ入れてくれ」っていうんです。そんな棄てた子じゃなくて、殺そうとした娘が生きていたんですから、色々悩んで考え込んじゃう人なら会えないですよ。プッツンするような人だから娘と会えた。そういう中でいつも通りの自分でいようしたんでしょうね。
 長秦店って街いうのは盧溝橋のすぐ側なんですよ。日中戦争の引き金になった所です。最初の頃は「日本鬼子がまた来たか」って言われていたんですよ。毎日のように転がりこんで話しを聞いているうち、どうやらあいつらは文革のこと、下放青年のことを撮ろうとしているらしい、と思われてくる。どうせ中国のテレビじゃやらないんだから、日本人でもいいかっていうのが中国人の懐の広さですね。
 そうしているある時、通訳の大谷さんが、ちゃんと通訳しないんで、どうしたって聞いたら「見合いをしろよ」って言われてるって言うんですよ。それで、その後女性を紹介されて結婚しちゃった(笑)。今北京で家持って暮している。それくらい信頼されたってことですよね。
袁葉 ― 黄土高原は人間の生存にむかないと地域だというイメージが私にはありますが、そんな黄土高原への監督の愛着いろんな所で感じました。
池谷 ― あの黄土高原、崖みたいな所耕してますよね。小麦とかは獲れない。何であの風景に力があるかと言えば、人間が営みを行っている。最初、食べるものといえば、毎日ヒエとかアワ、最初はまずくて、それが3日もたつと、うまくてしようがない。尾篭な話だけど、ウンコが黄金色に光っちゃってね、生涯に一度自分の中からあんなものひねり出したのは実に自慢できるなと思ってね…はい(笑)。
袁葉 ― 私は文革の映画は数多く観て来ましたが、ここまで本音言ってくれたのも、ここまでナチュラルに撮れたもの初めてだったですね。中国で文革の世代は忘れられようとしている気がしてならないです。 中国の現代史の空白を日本人の池谷監督に埋めていただいて一中国人として心から感謝しています。池谷監督に直接この言葉伝えられたのは京都映サの皆様のおかげです。本日はどうもありがとうございました。  (文責/是)


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