社会の中でいかに自分の信念を貫いていけるか

― ディートリッヒ…そして闘う女性たち ―

8月20日(日) 伊藤千尋さん

 

 2年前、私はアメリカの特派員でした。キューバには文豪ヘミングウェイの邸宅が博物館となっており、そこを訪れた事があります。そこからディートリッヒのラブレターや写真が見つかったといいます。ディートリッヒは恋多き女でしたが、ヘミングウェイも愛人のひとりでありました。 ナチスドイツはディートリッヒを宣伝の道具に使いたいと思ったましが、彼女は「今のドイツは私の愛したドイツではない」という信念でこれを拒みました。こういう時に人間は生き方を問われるものです。周りの社会が、自分の信念と違う方向にすすんでいる時代に、自分がどういう生き方をしたらいいか。見本を示してくれる例を今までの取材の中から見たことがあります。

 

ただひとり大統領に反対した女性議員 バーバラ・リー

 

 2001年の8月にロサンゼルスに赴任したばかりのことです。まだホテルで滞在した頃に9・ の映像をテレビで知りました。その日の光景は未だに覚えています。全米第2の都市に車1台通っていないゴーストタウンと化しました。次にロサンゼルスにテロが起こるといった噂が飛び交っていたからです。

 最初、テロが起きた日から数日間はテレビの討論番組で「私たちの国にテロが起こされるのは何か理由があるはずだ。私たちは考えなきゃいけない」といった発言がけっこう多かった。ほんの2・3日するとそういう意見も、討論番組そのものもなくなった。テレビでは1日中「ゴッド・ブレス・アメリカ」が流れ、どこにも星条旗を掲げられ、愛国心を煽る言葉ばかりが並び、ブッシュ政権を批判する人は非国民となってしまいます。 そういう時にアメリカの連邦議会でひとつ法案がほぼ満場一致で採択されました。それはテロを起こした相手に対して報復する権限を大統領に一任するといったものです。

 しかし、たったひとりだけ反対した人がいました。その人はバーバラ・リーという黒人の女性議員でした。これは当時の雰囲気からするとびっくりものです。彼女の事務所にはあらゆる脅迫・バッシングがあり、暗殺されてもおかしくない状況でした。普通なら隠れていたくなるところですが、そこで彼女が取った行動というのは、どんどん人前に出て自分の主張を発言する事でした。 彼女は言います「あの反対の票を入れる時に私は合衆国憲法を読み直しました。そこには、議会の役割は行政府、大統領が変なことしないように監視することだと書いてある。アメリカ合衆国の大統領が今まで正しい事だけをやってきただろうか、あのベトナム戦争の時だって、現に間違った事をやってきたじゃないか。なのに国会の権限を全部大統領に預けるというのは、国会議員としての義務を放棄する事じゃないか」と。 彼女の講演の後、私は壇上に駈け寄り聞いたんです。「あなたの勇気の源は何ですか」と。すると彼女は「私はあなたと同じ普通の人間で、特に勇気があるわけじゃない。ただ議員として職責を果たしたたいだけです」と淡々と言うのです。迫力があります。 そして、翌年の選挙で彼女はどうなったか。フタを開けると彼女は圧勝ですよ。 人間、どんな逆境の中にいて、自分の信念を曲げずに訴えて行けば、世の中の方が変わっていくんだ、ということを目の前で見ました。 今のアメリカはどんどん変わっています。当時7割のブッシュの支持率はが今は2割です。歴代の大統領で下から2番目。いかに人気がないか。どうしてそうなったか。大量破壊兵器なんてなかった。イラク戦争の大義はやっぱりウソだった。アメリカの人々はおかしいんじゃないかということに気づき始めた。その先頭に立っていたのがあのバーバラ・リーさんだったんです。

 

20年ぶりの歌が甦るチェコの女性歌手 マルタ・クビショワ

 

  1989年、ベルリンの壁が崩れた時、東欧の取材に行きました。チェコで12月10日の革命の勝利集会。プラハの街は戦争で空襲を受けていない美しい街です。その中心部の広場に30万人もの人が集まりました。もの凄い人の数です。バルコニーで演説する所を見ていると、びっくりしたことに、出てきたのは女性でした。しかも半袖のひらひらドレス。チェコの冬は零下10度の寒さの中です。するとその女性は両手を大きく広げ、朗々と歌い始めるのでした。 …この人はいったい何なのだろうと見ておりました。そして周りにいた人々に目をやると、右手の手袋を取って、右腕を高々と上げてVサインを差し出しているのでした。ボロボロ涙を流しながら…。30万人の白い肌が寒さでピンク色に染まっているようでした。いったいあの歌を歌っている人は誰なのか?どうして30万人が泣きながらVサインをしているのか?と尋ねると、あの人は20年間歌を禁じられた歌手なんだといいます。それが今歌っている。20年前を遡って見ると1968年「プラハの春」があったのです。当時チェコでは自由主義的なドブチェク大統領の下で、自由な杜会に変わってきました。そのチェコの自由な空気に対し、ソ連は戦車でやってきて政権を踏みにじってしまったのです。そしてソ連のいいなりになる政権をたてました。ソ連の戦車の前で、結局は黙ってしまう人も多かった。その中で「おかしいじゃないか?」と声を上げる人もいた。マルタ・クビショワ当時27歳、彼女はチェコ一番の有名な歌手でした。その彼女が自分のステージに立つた時、歌うだけじゃなくて「何故私たちの国によその国の戦車がやってきて私たちの政府を変えてしまうのか?おかしいじゃないか」と言って人々に呼びかけました。新しいソ連派の政府は影響力の大きい彼女に、脅しや圧力をかけましたが、彼女は政府批判をやめることはなかつた。その結果、ついに政府は彼女を全ステージに立てなくし、彼女は歌うことができなくなった。彼女は失業者になり、誰も彼女を雇ってもくれない。そして20年、その人が目の前で歌を歌っているのです。彼女は47歳になっている30万人の中には彼女を知らない人の方が多い。でも年輩の方はその声を聞いて、わかるわけです。「マルタだ!」と。20年歌を歌えなかった人が歌っているのだと。それを見てこの杜会がついに変わったのだと人々は実感したのです。その朗々とした歌はいつまでも長く続いているようでしたが、人々はその上げた右腕を下ろさなかった。凄い感動する風景だったですよ。

 

ゾフィー・ショル ドイツと日本の戦争責任

 

 もうひとりはディートリッヒと同じ時代のドイツの人です。ゾフィー・ショル。『白バラの祈り』で描かれたように、彼女はビラを配って反ナチ活動を行っていた学生グループ白バラに属していたひとりの女性でした。彼女はナチに低抗し、最期まで自分の信念を貫き通し、処刑されました。今のドイツでは戦争の教育にアンネ・フランクとこのゾフィー・ショルを教科書で取り上げています。今のドイツでアンケートを取ると、の若者の尊敬する人にこのゾフィー・ショルがあがります。このローテムント監督に私は尋ねました、彼は「自分は前から疑間に思っていた。自分のおばあちゃんはとてもいい人なのに、あのおばあちゃんは戦時中にヒトラー万歳と言っていた。いい人でありながら、何故そういう普通のドイツ人がヒトラー万歳生言えたのか?それが自分にとっては疑問だった。だから、ヒトラーに低抗した人の心を知りたいと、あの映画に撮りたいと思った」と言います。戦争の責任の取り方という点で日本とドイツは大きく違います。去年戦60年を記念して、ベルリンの国会議事堂の隣りにサッカー場2つ分の広さのユダヤ人犠牲者を追悼する記念碑を作った。「私たちは過ちを繰り返しません」という象徴であり、過去から学び、それが新しいドイツだ、という決意表明みたいなものです。日本の場合8月15目靖国に行きましょうという首相がいました。靖国に参拝すると中国や韓国との関係がまずくなるとか言う人がいますが、それ以上に日本人の問題です。自分たちの問題ですよ。あの戦争をどう判断するのかは。『白バラの祈り』のローテムント監督は言っていました。「過去からしか未来は学べない。過去にドイツが犯した過ちに今のドイツ人が特に若い人が責任を持つ必要はない。しかし過去に起こした事から学ぶ責任がある。自分は映画監督として何を学んだか示していく必要がある」と。世界のどこにもディートリッヒがいる。今、困難な時代だからこそ自分の生き方を貫くこと。そうだ、私もやれるんだ。



1949年、山口県生まれ。キューバ砂糖キビ刈り国際部隊員、東大ジプシー探検隊長。74年朝日新聞入社、84年中南米特派員、「アエラ」編集部員、91年バルセロナ支局長、93年川崎支局長、95〜98年「地球プロジェクト21」NGO・国際協力チーム担当、98年創刊120周年記念朝日メディア・シンポジウムを企画。99年5月から外報部所属。2000年アジア記者クラブ代表。2001年9月から朝日新聞ロサンゼルス支局長。2004年4月9日帰国。朝日新聞外報部。「地球市民の会神奈川」顧問。妻と息子3人。2004年1月15日初孫誕生。

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